ゼブラーマン 2004,1,20
邦題:ゼブラーマン
時間:115分
公開:2004/02/14
製作年度:2004
製作国:日本
配給:東映
監督:三池崇史
脚本:宮藤官九郎
製作:岡田真、服部紹男
出演:哀川 翔、鈴木京香、渡部篤郎、内村光良、市川由衣、大杉漣、近藤公園、岩松了、渡辺真紀子、古田新太、袴田吉彦、徳井優、柄本明
哀川翔が何本の主役をはっても、しょせん本人の問題だし、それを観客に信仰せよと押し付けられてもこまってしまう。だから、映画として面白いかどうかの判断を冷静にしなくちゃいけないんだと思う。当然ね。で、そういう意味では、100本目の主役だという「思い」が監督や脚本家のコメントでも「テーマ」にされた宣伝は、映画の本質をずらしたものにしてしまう。というより、映画が、ずらした本質で語らなければならないほどのダメな作品だから、そっちへ話題を振って、錯誤させようってことかもしれない。「タイムライン」が原作者しか宣伝テーマにしないようにね。物語りは、ダメ男がヒーローに、そして、その落差が大きいほど爽快感がある、っていう構造。ダメ男を演じるスーパーマンはヒーローであることを自覚して、隠すためにダメをしてる。ゼブラーマンはダメであることが前提でヒーローへと成長していく、パーマン方式。そのダメさかげんが哀川翔に「やらせてみたい」という、違和感の計算高い強調が鼻につく。こまかなディテールもサブカルっぽい性格俳優を出してみたり、お風呂屋さんを防衛庁の実験室にしてみたり、という「どうだ、このアバンギャルドは」というピカソ以降のエセ・キュービズムのような陳腐な創造性。で、そういう意味では、映画としては最悪なものになってると思う。もっと普通にすればいいのに。単館系なアート映画、四畳半ヒーローの小市民な「軽い」ものにしていくレベルの映画が全国配給の大作にされてしまった悲劇なのかもしれない。哀川翔の本質だと思う、オリジナルビデオワールドな安っぽさ、B級さで押して行けば、カルトな傑作になったはずよね。でも、そういう映画なら試写にも行かなかったと思う。かつて放送されれていた「ゼブラーマン」について主人公と教え子が会話するシーンが、同人誌的で素敵だった。
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